27歳の教科書

27歳で知れてよかった働き方、人生観を綴っています。多くは「先生」と崇める恋人からの教えです。

「自己啓発書はムダ」に小さく反抗してみる【自己啓発本”だけ”読むのはムダ】

自己啓発書がムダなのかどうか自分なりの答えを出すために、いろんな言葉でググってみた。

自己啓発書 意味ない」「自己啓発書 ムダ」「自己啓発書 読む理由」・・・。

 

そして、答えが出た。

 

自己啓発書は読んでもムダではない。

 

ただし、自己啓発書”だけ”読むのはムダである。

 

いわゆる「自己啓発書」と「実用書」は性質が違っていて、それぞれメリットがある。

 

自己啓発書:物事に対する向き合い方、行動のしかたが変わる

実用書:仕事や生活に活かせるスキルが増える

 

前者ではソフトスキルが増えて、後者ではハードスキルが増えるといったところだろうか。

 

多くの場合、自己啓発書や実用書は「問題を解決する」ために読むはずだ。

そして、なにも実用書を読んで新しいスキルを身につけることだけが問題解決につながるわけではないと感じた。

 

向き合い方や行動のしかたを変えることで解決できることもある。

反対に、新しいスキルを身につけて一歩前進することで環境がガラッと変わることもある。

または両方を駆使して複雑な問題にうまく対処できることもある。

 

最近の自分の例を1つ挙げてみよう。

 

筆者には映像事業を展開しているパートナーがいるのだが、動画編集の人手が不足しているらしく「動画編集勉強したら仕事あるし、稼げるよ」と話をされた。

 

それまで自分はフリーランスとして中国語教育でなんとか食って行きたかったが、食えていない状況だった。お金は喉から手どころか両手両足ぜんぶが出るほどほしい。(気持ち悪い)

 

でも・・・。なんとか「やりたいこと」で稼ぎたかったから、返事を曖昧にしていた。

 

話に乗るべきか、断るべきか。

 

「やりたいこととできること」、確かこんな感じのキーワードでググったところ、林修先生と小池百合子都知事の対談書『異端のススメ』が出てきたので、図書館に行って借りてきた。

 

私はこの本を自己啓発書としている。

 

『異端のススメ』の中で一番印象に残ったのが、林先生はやりたいことより「できること」で仕事を選んでいるという考え方だった。

 

もっと細かくいうと「本業はできることでやり、副業や趣味でやりたいことをやる」という考え方だ。

 

この考えに出会っていなければどうなっていただろう?

動画編集の仕事を断り、中国語教育がダメなら英語教育で食えないか?ブログで食えないか?と、現実的に稼げる仕事に就くことなくフラフラとさまよっていたと思う。

 

自分を止められてよかった。

 

「動画編集で仕事をもらう」と決めて、次は図書館で『世界一わかりやすい動画制作の教科書』を借りた。

 

ゴリゴリの実用書だ。

 

カットつなぎやカラグレと呼ばれる色の調整、音声の調節方法など明日から使える知識をたくさん学ぶことができた。

(動画編集などはYoutubeでも無料で学べる)

 

そして高尾山に行って自分で素材を撮り、一通り自分で編集した動画をパートナーに見せた。

今後は、カットつなぎがメインの簡単なメイキング映像を編集する仕事から始める予定だ。

 

今回の経験はほんの一例だが、本を読むのが好きで自己啓発書も割と好んで読む自分の立場からは「自己啓発書と実用書、両方を読んだことで生活が変わり始めた」と断言できる。

 

いくら新しいスキルを身につけても、凝り固まった思考だと行動パターンは変わらない。

変わらない行動パターンが原因で悩みを抱えたまま同じところをずーっとグルグル回る可能性もある。

 

だからといって、いい考え方、いい行動のしかたを知っても仕事にできるだけのスキルがなければ現状が変わらないという見方もできる。

(知識だけたくさんある頭でっかちになってしまっているということだ)

 

今回書きたかった「自己啓発書はムダ」への小さな反抗。

最後に筆者の意見をもう一度伝えて終える。

 

自己啓発書はムダではない。ただし、自己啓発書”だけ”を読むのはムダである。

 

2/4追記:

個人的に感じる自己啓発書のデメリット

・1つのトピックに対しても著者によって意見が違うことがあり、異なる意見に触れすぎると「結局自分はどう思う?」という自分の考えがグラつくまたはなくなる

・行動に反映させない限り、現実世界は何も変わらない。頭の中の世界はアップデートされるけど。