27歳の教科書

27歳で知れてよかった働き方、人生観を綴っています。多くは「先生」と崇める恋人からの教えです。

最初の一歩に時間がかかるくせに、踏み出すと「あれ?終わっちゃった」と思う現象について

最初の一歩って、なんでこんなに軽やかに踏めないものなのでしょうか。

投資を始めてみようとリベ大やひろゆきの動画をリサーチしました。知識はたまりました。

が、口座開設して入金受付するまでにものすごく時間がかかったんですよね。4月30日にやっと入金受付までこぎつけました。

冗談抜きで、1年。

右足に重りでもついているのかなあ。

ちょっと今日は「最初の一歩を踏み出すのに時間がかかるくせに、踏み出すとすぐ終わる現象」について書いてみたいと思います。

勇気が出ないんじゃなくて、たぶんめんどくさいだけ

これは私が自分で気づいたのではなく、恋人に指摘されたことです。

何か新しいことをするとき、最初の一歩ってめんどくさくないですか?

例えば投資。

S◯I証券のホームページを開くと、金融がらみのなんだかよくわからない用語のタブが10個以上並び、何をクリックして進めればいいのかわからない。

もうこの時点でめんどくさいです。

わかりやすいナビゲーションがあって、3ステップで入金受付まで終わればいいのにと思います。

この時、心は明らかに勇気が出ないとか不安とかじゃなくて「めんどくさがってる」状態。現実、このホームページも色々複雑でめんどくさい。

だから、最初の一歩を踏み出すための名言を探したり、自分を鼓舞するような自己啓発本を読むのではなくて(過去の私)

「最初の一歩はめんどい」と認めちゃった方がいい気がします。めんどくさいけど、手を動かす。だってそうしないと現実が変わらないから。

めんどくさいけどね、って。

あれ?もう終わっちゃった

でも、いざ始めると思いのほかすぐ終わってしまうんですよね。

投資の入金受付も、Youtubeでハウツー動画を見ながら3分くらいで終わってしまいました。

まじ悩んでた1年は何だったの・・・?

毎回同じことを思っているのに、学習しません。
他の新しいことを始めるときは、また最初の一歩に時間がかかります。

不安が襲ってくることも、もちろんある

めんどくさいんじゃなくて、本当に不安で最初の一歩が踏み出せないということもあると思います。

でも、どちらの理由にしても結果は一緒。

やらなきゃ現実は変わらないし、やれば違う現実に入る。

オンライン日本語教師にずっと興味があるけど、うまく教えられなくて低評価つけられたらどうしよう。そのせいで日本語学習者界隈で悪い意味で名を知られたらどうしよう。

半ば妄想(?)ですが、本当にこういう考えって浮かんでくるんですよね。

「最初の一歩を踏み出さないと始まらない」

たくさんの本や動画で言われて「そうなんだよ。だけど、それができないんだよ」と思ってしまうけど

やらなきゃ現実は変わらないし、やれば違う現実に入る。

ただそれだけ。

自分に最適な「最初の一歩を踏み出すための言葉」は、探してもないのかもしれません。

最初の一歩はまだまだ重いけど

製氷皿の氷を半分使ったあと水を入れるのも、なかなかめんどくさい。まだ半分あるから次でいっかと思います。

けど、蛇口をひねって水を入れて冷蔵庫に戻します。

こんなふうに、踏み出さないまま何ヶ月も過ぎていくことも、これからも絶対にあります。

だけど、この言葉を胸に今よりも少しでも早く最初の一歩を踏み出せるように。

めんどくさ。でも、今やろう。

(そして、実際に手を動かす)

The Psychology and Philosophy of Envy

‘Envy’ derives from the Latin invidia, ‘non-sight’.

”Envy(嫉妬)"という言葉は、”見えない、盲目"を意味するinvidiaから派生している。

嫉妬の感情に駆られている時は、周りの世界が見えていない、完全に嫉妬の世界に入り込んでしまっている

 

The pain of envy is caused not by the desire for the advantages of others per se, but by the feelings of inferiority and frustration occasioned by their lack in ourselves. 

嫉妬からくる痛みというのは、本質的には相手が持っている有利な条件を自分も欲しいという欲求から生まれるのではなく、自分は劣っているという感情や欲求が満たされない(欲求不満)から生まれる。

 

人より優位に立ちたい気持ちがあることに気づいた

・ChatGPTを自分より使いこなしている(と感じた)恋人に腹が立った

・映像制作の案件を取ってきて忙しそうにしている恋人に悪い態度で接しちゃった

・座ってる目の前で札束を数えている恋人に無性にイラついた

 

最近、モヤついたことです。

 

薄々気づいてはいたけれど、自分は「人より優位に立ちたい気持ち」が強いようです。

 

ChatGPTを使いこなしている恋人に腹が立ったのは「自分が恋人よりChatGPTを使いこなしていたいから」。(文字にすると笑えますね)

 

仕事で忙しそうにしている恋人に悪い態度を取ってしまったのは「自分が相手より忙しそうにしていたいから」。

 

札束を数える恋人にイラついたのは「自分が相手と同じくらい自分の力で稼いでいたいから」。

 

全部、自分が相手より上にいたい。そんな気持ちが根底にあるのです。

 

でも、毎回こんな気持ちになると心に良くない。

 

どうしたもんかとYahoo!知恵袋で似たような人たちの相談を眺めてみました。

この心理を治したい人は少なくないみたいですね。

 

「他人よりも優位に立ちたいという心理」 心理学のことで教えて下さい。 「他人よりも優位に立ちたがる」のは,劣等感から来るものなのでしょうか?

 

そして、今の自分に一番しっくりくるアンサーを見つけました。

 

 

(中略)

引用:

「他人よりも優位に立ちたいという心理」 - 心理学のことで教... - Yahoo!知恵袋

 

そう。「あ、この人ここができてない。(私が勝ってる)」「この人、いつも私より成績いい(負けてる、悔しい)」と、誰に対しても勝ち負けを意識してしまうのです。

 

勝負なんてしていないのに。

 

自分にすごく劣等感を持っているというわけでもないけど、生粋の負けず嫌い。

常に一番でいたい。

 

だから、人より優位に立っていたい。

 

自分より相手が”できている”と、反応してしまうんですね。

 

でも、だからといってすぐに気にしないようにするのは至難の技。

28年ものの性格ですからね。

 

私にできる、やるべきことは、

と自分で分析すること。

 

イライラしている理由がわかると、「そうそう。だから今はイライラするのは仕方ない」と半ば開き直ることができ、嫌な態度を取る前に冷静に相手に接しやすくなります。

 

そして、今日👆を実践することに成功しました。

 

クライアントと今後の案件が増えるかもと話す恋人に嫉妬心を感じ、すぐさま「勝ち負けを意識させる言動に敏感になっている」と分析しました。

 

そして、なんと

 

「よかったね。夢に一歩近づいたね」と応援までできてしまいました。

 

 

ーーー

 

 

相手より劣っているようで心がザワザワしたら、相手の言動に敏感になっているんだと認める。

 

 

ーーー

 

 

良い学びでした。

 

リアル「会社は学校じゃねぇんだよ」を20代で経験できてよかった

「会社は仕事を教えるもの」。そういう先入観を無意識に持ってたのだろう。

 

映像制作の会社で、未経験の私なのにほぼ何も教えてくれない中国人ボス(彼氏)に不満が募っていた。

 

「こっちは業界のこと何も知らないんだから、ミスっても注意しないで優しく教えてくれたらいいじゃんか。」といつも一人でブーブー言っていた。

 

ーーー

 

「仕事任せたいなら、教えてくれたらいいじゃん。」ある日、飯能駅のホームでそう言った。

 

「上司は、一般的な業務は教えるけど全部は教えないよ。だって”自分より使えるやつだ”って、抜かれたくないじゃん。」

 

・・・・・・・・へ?

 

「んじゃ、中国語で新卒で働いてた時、先輩教えてくれなかったの?」

「教えてくれなかったよ」

「どうやって仕事覚えてったの?」

「盗み見てた」

 

どうやって電車に乗ったか覚えてない。

 

仕事の概念が、違いすぎる。

 

その後、もっと面白い話を聞いた。

 

「先輩に”何か手伝うことありますか?”とか聞かないの?」

「聞いてもいいけど、しない方がいいよ。”こいつは野心家だ(俺のポジションを脅かす)”と思われるから。一番いいのは、黙っていろんな仕事ができるようになることだね」

 

・・・( ^ω^ )計算がすぎる。

 

自分と違う考えを聞くと、そっち側の人の考えをもっと知りたくなる。

 

「会社 仕事教えてくれない」とかなんとかでググっていくうちに、グサリとくる英語の記事Quoraの回答を見つけた。

 

 

 

 

ソフトスキルというのが、いわゆる「学びたいという欲求」「情報を得ようとする姿勢」「いい仕事をしようとする姿勢」「クリティカルシンキングなどだという。

 

 

仕事は、必ずしも会社や上司が教えてくれるものじゃないんだ。

 

盗み見て、誰も知らない間に自分のモノにするんだ。

 

リアル「会社は学校じゃねぇんだよ」を20代で経験できてよかった。

映像製作部奮闘記:ロケハン日時を決めるときに注意すること

もうすぐ撮影する案件のロケハンの予約で学んだことです。

 

ロケハン日時を決めるときに注意すること:

屋外や窓のある室内では、ロケハンの時間はなるべく当日の撮影時間と合わせる

 

「15時にロケハンしたいってこのスタジオに連絡して」と言われて、何も考えずに15時に予約をしたけど、ちゃんと理由があるのだとわかった。

 

まずロケハンは、ただ「あ、こんな感じなのね。テーブルと椅子がここにあって...」と雰囲気を見るだけじゃない。

 

もちろん雰囲気をつかむのも大切なのだが、当日の撮影がスムーズに進むよう

・この時間帯だと光はどんな感じで当たるのか?

・光がこう当たるとすると、どう撮影するのがベストなのか?

 

と、「撮影のシミュレーションをする」という目的もあるようだ。

 

(他にも、wifiやトイレの位置、駐車場、必要な機材と不要な機材の確認なんかもする)

 

もしも当日の撮影が15時なのにロケハンに22時に行ったら、光は出てすらいない。

 

ロケ地が窓のない室内の場合は、光の加減など気にしなくていいからロケハンは何時でもいい。

 

ということは、だぞ。

(ひらめきポイーント!)

 

・「◯時にロケハン予約して」と言われる前に、自分で考えて「◯時でいいですか?」と言う

・複数ロケ地がある場合、一番優先したいのは屋外や窓から光が差し込む室内、窓のない室内は一番ロケハン日時の融通が効く

 

これからは、ここら辺を意識できれば、言われたことをただやるスタッフじゃなくなりそうだ。

 

 

 

 

映像制作部奮闘記:スタンドインってなに?

今回参加したのは、とある歌手のMV撮影の現場でした。

 

「スタンドイン入って」と言われて、言われるがまま立っていただけだけど、実は重要な役割があることがわかりました。

 

スタンドイン:

演者に代わって、照明やカメラの位置を決めるために位置に立つこと。

演者本人に立たせると肉体的・精神的に疲労して演技に影響が出るため、代理で立つ人が必要。

 

スタンドインについてもうちょっとググってみると、「演者本人と身長や髪・肌の色が似ている必要がある」と書いてある。

 

今回撮影した歌手の女性は身長170cm、私は156cm。15cmくらいの差がある。

 

そっか。だからカメラマンさんに「つま先で立って」と言われたんだ。

 

2時間くらい動かず立ってたので、立ってる間は「キッツイな〜」と思ってたけど、私が普通に立った高さでカメラを調節したら、歌手の方が実際に立った時に顔の下半分しか映らなくなっちゃう。

 

てことは、だぞ。

 

当日出演する演者の方の身長を事前に調べておいて、身長に差があるようなら、スタンドイン入ってすぐにつま先立ちすればスムーズだな。

 

また、新しいことを学んだ現場でした。

 

 

 

 

 

 

 

「自己啓発書はムダ」に小さく反抗してみる【自己啓発本”だけ”読むのはムダ】

自己啓発書がムダなのかどうか自分なりの答えを出すために、いろんな言葉でググってみた。

自己啓発書 意味ない」「自己啓発書 ムダ」「自己啓発書 読む理由」・・・。

 

そして、答えが出た。

 

自己啓発書は読んでもムダではない。

 

ただし、自己啓発書”だけ”読むのはムダである。

 

いわゆる「自己啓発書」と「実用書」は性質が違っていて、それぞれメリットがある。

 

自己啓発書:物事に対する向き合い方、行動のしかたが変わる

実用書:仕事や生活に活かせるスキルが増える

 

前者ではソフトスキルが増えて、後者ではハードスキルが増えるといったところだろうか。

 

多くの場合、自己啓発書や実用書は「問題を解決する」ために読むはずだ。

そして、なにも実用書を読んで新しいスキルを身につけることだけが問題解決につながるわけではないと感じた。

 

向き合い方や行動のしかたを変えることで解決できることもある。

反対に、新しいスキルを身につけて一歩前進することで環境がガラッと変わることもある。

または両方を駆使して複雑な問題にうまく対処できることもある。

 

最近の自分の例を1つ挙げてみよう。

 

筆者には映像事業を展開しているパートナーがいるのだが、動画編集の人手が不足しているらしく「動画編集勉強したら仕事あるし、稼げるよ」と話をされた。

 

それまで自分はフリーランスとして中国語教育でなんとか食って行きたかったが、食えていない状況だった。お金は喉から手どころか両手両足ぜんぶが出るほどほしい。(気持ち悪い)

 

でも・・・。なんとか「やりたいこと」で稼ぎたかったから、返事を曖昧にしていた。

 

話に乗るべきか、断るべきか。

 

「やりたいこととできること」、確かこんな感じのキーワードでググったところ、林修先生と小池百合子都知事の対談書『異端のススメ』が出てきたので、図書館に行って借りてきた。

 

私はこの本を自己啓発書としている。

 

『異端のススメ』の中で一番印象に残ったのが、林先生はやりたいことより「できること」で仕事を選んでいるという考え方だった。

 

もっと細かくいうと「本業はできることでやり、副業や趣味でやりたいことをやる」という考え方だ。

 

この考えに出会っていなければどうなっていただろう?

動画編集の仕事を断り、中国語教育がダメなら英語教育で食えないか?ブログで食えないか?と、現実的に稼げる仕事に就くことなくフラフラとさまよっていたと思う。

 

自分を止められてよかった。

 

「動画編集で仕事をもらう」と決めて、次は図書館で『世界一わかりやすい動画制作の教科書』を借りた。

 

ゴリゴリの実用書だ。

 

カットつなぎやカラグレと呼ばれる色の調整、音声の調節方法など明日から使える知識をたくさん学ぶことができた。

(動画編集などはYoutubeでも無料で学べる)

 

そして高尾山に行って自分で素材を撮り、一通り自分で編集した動画をパートナーに見せた。

今後は、カットつなぎがメインの簡単なメイキング映像を編集する仕事から始める予定だ。

 

今回の経験はほんの一例だが、本を読むのが好きで自己啓発書も割と好んで読む自分の立場からは「自己啓発書と実用書、両方を読んだことで生活が変わり始めた」と断言できる。

 

いくら新しいスキルを身につけても、凝り固まった思考だと行動パターンは変わらない。

変わらない行動パターンが原因で悩みを抱えたまま同じところをずーっとグルグル回る可能性もある。

 

だからといって、いい考え方、いい行動のしかたを知っても仕事にできるだけのスキルがなければ現状が変わらないという見方もできる。

(知識だけたくさんある頭でっかちになってしまっているということだ)

 

今回書きたかった「自己啓発書はムダ」への小さな反抗。

最後に筆者の意見をもう一度伝えて終える。

 

自己啓発書はムダではない。ただし、自己啓発書”だけ”を読むのはムダである。

 

2/4追記:

個人的に感じる自己啓発書のデメリット

・1つのトピックに対しても著者によって意見が違うことがあり、異なる意見に触れすぎると「結局自分はどう思う?」という自分の考えがグラつくまたはなくなる

・行動に反映させない限り、現実世界は何も変わらない。頭の中の世界はアップデートされるけど。